■生まれ
1967年7月、転勤族の父の赴任先であった大分県で生まれる。
三人兄弟(男・男・女)の長男。
■人生最初のワダカマリ?
幼稚園までは比較的穏やかな日々を過ごしていました。
しかしそんな日々の中でネガティブな記憶として残っているものがあります。
それは3歳の時。
家族でデパートのレストランへ行った際、私がその店の壁に飾ってあった風船が欲しくて駄々をこねた。
でも駄々をこねても結局その風船は手に入らなかった・・。
その日家に帰った時、両親の疲れた様子を見てすごく悲しい気持ちになったんです。
家に帰った両親が本当に疲れていたのか、私のせいだったのかは定かではありません。
でも幼児の私にはそう見えた。
「わがままはいけないんだ・・」
その後、私は自分の欲求を強く抑えるようになりました。
言いたいこと、欲しいことがなかなか言えない。
思い返せば、私の人生でワダカマリの始まりはここでした。
■両親の不仲
両親の仲が悪くなったのは小学生の頃から。
父が大きな声をあげて母をなじっている。
母がそれに反発している。
そんな様子をよく見るようになりました。
当時の父は仕事がうまくいってなかった。
家ではいつもイライラして、些細なことで母にあたっていたんです。
母の痛々しい姿を見て私は「母を助けたい!」と思っていました。
でも父にはとても勝てない・・。
こんな想いを何度も繰り返すうちに
どんどん無力感に襲われるようになってきたんです。
「自分には力がない・・」
「目の前の状況は変えられない・・」
非力や諦めの想いが知らず知らずのうちに、自分の中を支配するようになっていました。
■信念の違い?
父との不仲に疲れた母は救いや居場所を求め、当時家の近くにあった
ある宗教のところへ通うようになりました。
宗教といっても特に怪しいものではなく、世界では最もポピュラーなもの。
欧米では宗教というよりも、ごく当たり前の「教養」と捉えられているもの。
母は私を礼拝に連れていくようになりました。
最初は母に言われるがまま、周りの人のやる通りに講話を聞いたり
見よう見まねでお祈りをしていました。
しかし成長するにつれて私はその世界に違和感を感じるようになったのです。
熱心な信者となった母親。
母は私がその宗教に従った考え方、行動をすれば喜び
違う考え方、行動をすると嫌がりました。
母親を助けたい。
そして母から愛されたい子供としてはその宗教を受け入れたい。
でも自分の中に芽生えた違和感があって、どうしてもその宗教を受け入れられない。
このジレンマは数年続きました。
「母親は世の中のすべてをその宗教(信念)に基づいて見ている。
良い・悪いの判断のすべても。
そして自分の子供に対しても・・・」
随分悩んだ結果、結局その宗教と母親から受け入れられること
その両方放棄することにしたんです。
「母親との断絶感」
これは大きなワダカマリとなり、その後の人生に大きく影響するようになりました。
■「ワダカマリ」と向き合いだす
将来のこと、友人・異性関係など
思春期の頃は色々悩みも尽きないもの。
高校生の頃の私は何か行き詰ったことがあると
いつも本屋に行きました。
両親や友人に相談してもいい答えはないと思っていたのです。
本屋にはいろんな人の知恵がある。
それで状況を打開できるかもしれないと考えていたのです。
高校生のある時、友人関係がキッカケで極度の不安、引きこもりの
状態になってしまいました。
元気な時はいいが何かキッカケがあると極度に感情に飲み込まれて
引きこもり状態になってしまう。
しかもそれがなかなか元に戻らない。
行き詰った私はいつものように本屋へ行きました。
そうするとある本に
「過去のこころの傷が将来に渡って影響を及ぼす」
ことが書いてあったんです。
「私がこんなに不安定なのはこれが原因かも!!」と思いました。
思い当たることがたくさん有ったからです。
これがこころの課題に目を向けるキッカケになりました。
その後、親には内緒でカウンセリングを受けたり、簡単な心理療法を受けるようになりました。
高校卒業後、大学生になっても何か行き詰るたびに本屋へ行き、
こころの課題に役立ちそうなものを色々試してみるようになりました。
■社会人になって噴き出すワダカマリの影響
社会人になってワダカマリの影響が大きく出ることがありました。
それは会社の上司との人間関係です。
上司に対してつい反抗的な態度を取ってしまう。
同期、後輩に対しては問題ないのに上司となるとつい感情的になってしまう。
例えば自分にちょっと余裕が無い時に上司から何かを頼まれる。
そうすると途端に感情的になり、反抗的な態度を取ってしまう。
これは仕事をする上で非常にマイナス。
上司の理解・協力が無いと仕事は進みにくいのに、
かえって自分で自分の首をしめているようなもの。
問題のある社員でした。
また困ったのはクレーム対応
仕事を進めていく中で、お客さんからクレームを言われることもありました。
自分自身のミスの場合もあれば、会社のどこかの部署でミスがあって
立場として自分が対応することもある。
ただ相手が感情的にイライラや不満をぶつけてくると
とたんに私はパニックになってしまい上手く対応できなかった。
相手から自分が叩き潰されるような感じがして、怖くて怖くて
向き合えなくなってしまう。
自分が対応できず上司に変わってもらうこともしばしば・・。
これではとても仕事は上手く行かず、なかなか成果も出ない。
上司からも評価されず八方塞がりの状況に陥ることもしばしばありました。
一体どうしたらいいのか??
大声でどなる父にびくびくしていた幼少期の体験。
母との間の大きな分離感。
こういったものが今の自分に大きく影響していることは分かる。
でもどうすれば良いのか?
高校の頃と同じく、仕事で行き詰った時もよく本屋に行きました。
なにかこの状況を打開する知恵は無いのか?
過去のこころの傷を治し、今を楽に生きられる何かいい方法は無いのか?
いろんな方法をやってみる内に、とても効果的な方法に出会いました。
こころの傷をエネルギー的に解消していくというもの。
これはかなり効きました。
ただじっと座って受けているだけなのに、これまで不安や恐怖に振り回されていたのが
だんだん冷静に対応できるようになってくる。
また感情の取り扱いについて学んだのも大きかった。
感情とは何なのか、どう扱えば良いのか。
感情に関する知恵も学び、過去のマイナスな感情・想いを解放している内に
人生で始めての安定感や安心感を得るようになってきたのです。
■ワダカマリをライフワークへ
社会人になって会社の中でキャリアを積み、
部下がついて自分でチームを動かせる立場になりました。
収入も上がり金銭的にも精神的にも安定して、
これまで混乱が多かった私の人生もようやく落ち着いてきたと思いました。
しかしそれは束の間のことでした。
会社の業績が悪くなり、人が減らされて仕事量が
増えてくると、様々なトラブルに見舞われるようになりました。
まず自分自身の仕事がこなせない。
業績を伸ばすために新たな仕事をどんどん
引き受けるようになったが、無理に引き受けたため
なかなかこなせない。
残業しても残業しても休日に仕事をしても終わらない。
自分自身の仕事がこなせないと、他の部署や部下に対する指示も遅くあいまいになる。
次第に私に対する不満が出てくる。
そうしている内に、今度は取引先からクレームも出るようになってしまったのです。
クレームがくると今度はその対応に追われ
仕事はどんどん悪循環に陥っていく。
またある取引先との関係にも行き詰りました。
ちょっとした不手際でも感情的にどなりつけてくる、
大声をあげる人がいたのです。
その人の前に立つと不安や恐怖の感情に飲み込まれる。
動悸がして体がフラつく。
思考力が落ちて何も考えられなくなる。
ストレス、寝不足も続いて、肉体的・精神的な疲労が極度に溜まっていました。
ある朝、会社へ行こうとシャワーを浴びようとするが体がどうしても動かない。
頭では動こうとしているのに、体が動かない。
疲れ果て頭と体が分離した感覚・・。
「このままでは私は潰れてしまう・・・。」
仕事で追い込まれ精神的な病になってしまう人。
自ら死を選んでしまう人たちの気持ちがすこし分かった気がしました。
このキツイ状況は1年近く続きました。
しかし人事異動で少し楽な職場に移ったことでようやく状況は好転しました。
次第に肉体的・精神的な行き詰りからも解放されてきたのです。
でも疑問も出てきました。
「状況は楽になったがこのままでいいのか?」
「これから先自分は一体どう生きたいのか?」
もうこれまでと同じような仕事は続けられない気がしました。
自分の生き方を模索する日々。
その中で湧き上がってくる想いがありました。
高校生の頃からずっと向かい合っていた「こころのワダカマリ」をテーマにこの人生を生きていきたい!
ここから今の仕事が始まったのです。
■現在
大好きな海辺の街「江ノ島(神奈川県)」在住。
海が見える病院で心理カウンセラーの仕事もしながら活動中。