精神的にとても追い詰められた時、嫌っていた「宗教依存の母親」の気持ちが分かるような気がした

随分前。社会人になった間もない頃。
仕事で精神的に追い詰められた時がありました。

自分が担当している顧客からの依頼が増えて、さばききれなくなりつつあったのです。
その依頼はたいして売上は上がらないが、大きな手間はかかるものでした。

仕事が滞りがちになり、それに伴い小さなトラブルも起こってくる。
トラブル対応が増えると、そこに時間がかかり、更に仕事が溜まってくる。
残業が続き体も疲れてくる。

悪循環に陥っていました。

当時の私は日常的にも不安や恐れがとても強い。
一方でストレスにはとても弱い(笑)

そして、人に助けを求めることも下手。
自分一人で仕事を抱え苦しんでいたのです。

「このままの状態が続けば、大きなトラブルになってしまう。」
「顧客や上司に大きな迷惑をかけ、ひどく怒られてしまう。」

怖くて怖くて仕方がなかった。

「なんでもいい。 
 この不安を和らげてくるるものが欲しい。」

思い余った私は母親に力を借りようと思いました。

母親の宗教では、よく神に祈りを捧げます。
「どうか〇〇してください」といった感じです。

私は母親に電話して、
「仕事が上手くいって、この難局が乗り切れることを祈って欲しい。」
とお願いしたのです。

驚きながらも、少し嬉しそうに母は引き受けてくれました。


結果的に…その時の難局は無事に乗り越えることができました。
恐れいていた大きなトラブルは起きず、なんとかさばききれた。 

後日、私は母親にお礼の電話をしました。
「仕事、なんとか上手くいったよ。」
「祈ってくれてありがとう。」

でも、釘を指すことも忘れませんでした。
「今回のことがあったからといって。 
私は信者になるつもりはないから(笑)」

母親も笑ってました。

ただ、本当に精神的に追い詰められた時。
状況的にどうしようもないと感じた時。

人はやはり「心の支え」や「救いになるもの」が欲しくなる。
それがあることで、ようやく自分を保てる時もある。

母親にとって宗教はそういうものだったかもしれない。

感情的にはまだまだ受け入れられませんでしたが、
母親のこと、ちょっと分かるような気がしてきたのです。

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