先週参加した『毒親サバイバル』刊行記念トークのイベント。
この中で参加者それぞれが育った家庭での「ウチのフツウは変でした」をアンケートに書いて、イベントの中で紹介される場面もありました。
私の場合は「家の年休行事に、ある宗教のイベントがあること」でした。
幼稚園や小学生になった頃までは、他の家のことはを良く知らないので、どこの家庭も同じようなものだろうと思っていましたのです。
当時は私は週末になると母親に連れられて宗教の集まりに参加していました。
そして私は宗教の教義を学ぶ子ども向けのクラスに入れられていたのです。
小さな子どもであっても、その教義に基づく、やって良いことと、良くないことを知って、実践していくという感じでした。
しかしある時、そのことを小学校の周りの人に話すと、変に思われたり、からかわれたりすることがあったのです。
すごく恥ずかしかったし、すごく嫌でした。
どうやら自分の家庭は周りとは違うと分かってきて、「家のことや宗教の話しは人にしない方が良い・・」と考えるようになったのです。
本当に幼い頃はなんの疑問も持たなかったそこの教義。
でもだんだん自我が芽生えてくると、「ほんとうにそうなのか?」と疑問を感じるようにもなっていたのです。
しかし母親はその教義に基づく子育てをしていたので、教えに合うことするのは「良い子」。
教えに合わないことをするのは「悪い子」となっていました。
小さな子どもとしては、母親に愛されたい、認められたい。
そのためには宗教を信じ続けないといけない。
でもその教えに疑問を感じるようになって、受け入れられない・・。
この葛藤が私の子どもの頃の一番の悩みでした。
そして高校生の時に、その教義を受け入れることと、母親に受け入れることを諦めたのです。
しかし親に対する怒りや悲しみはとても強かった・・。
そのためこのワダカマリをある程度クリアにしていくのに、相当な時間がかかりました(笑)