「自分が好きなことは何か。いまひとつ分からない」
こういった想いを持っている人は結構多いと思います。
そして自分なりの「好き」に実際に突き進んでいる人もいるでしょう。
でもそこに、子どもの頃の「悲しみや欠乏感」が大きな原動力になっていると、どこかで行き詰りやすくなるように思います。
私にとって、こういった「好き」の対象はこの国、日本でした。
【1】子どもの頃のジレンマ
私の子どもの頃のトラウマ。
その大きな要因は宗教でした。
母親がある海外の宗教の熱心な信者だったのです。
私が3歳の時、母は入信しました。
その後、私は母に連れられてその宗教の集会に出るようになります。
幼稚園児の頃までは、その宗教に何の疑問も持ちませんでした。
しかし小学生になると、自分の家庭と周りの家庭では価値観や日常が違うことに気付いてきたのです。
例えば
「困ったり、悩んだことがあったら〇〇神に祈る」
「毎日の生活の中で○○神の教えを守る」
こういったものです。
小学2年生のある日。
同じクラスの人に、その宗教の集会に参加していることを何気なく話をしたことがありました。
そうすると相手から随分バカにされたのです。
「なんだそれ? お前、変なことをやってるな~(笑)」
自分は別に普通の話しをしたつもりだったので、ショックを受けてすごく悲しい気持ちになりました。
「このこと(宗教)は、人に言っちゃいけないんだ・・」
それ以降宗教のことは人に言わないようになりました。
そして次第にこの宗教の教義(教え)にもどんどん疑問がわいてくるようになってきたのです。
「○○神は本当に正しい神なの?」
「教えは本当に合っているの?」
しかし母にこの疑問を伝えても、受け止めてもらえませんでした。
母が絶対的に信じている宗教の教義や価値観。
そこに疑問をはさむ余地は無かったのです。
もし私があまり疑問を持たないまま、信者になれば楽だったと思います。
しかし私はその教えに対して疑問や違和感があって、素直に受け取ることはできなかったのです。
私は母から「勉強しなさい」と一言も言われたことがありませんでした。
でも「〇〇教の教えに合う生き方」をごく当然のように求められていました。
「○○教の教えに合う行動は良い。合わない行動は良くない。」
そして子どもに対する母の価値観は
「○○教の教えに合う子は良い子。教えに合わない子は悪い子」となっていたのです。
小さい子どもとしては、母親に受け入れられたい、愛されたい。
でも母親が信じる〇〇教の教えを自分は受け入れられない・・・。
このジレンマが、私が子どもの頃のとても大きな悩みでした。
【2】子どもの頃の悲しみ体験
母が信じている宗教は海外では信者が多いものの、日本では多くありません。
地道に布教活動はしていても、少数派に過ぎませんでした。
そのため信者が集まる場では、日本や日本人を批判する会話や発言が出ることもあったのです。
日本では
・〇〇教の教えが社会に広がらない
・人々がなかなか受け入れない
だから日本、日本人は
「駄目だ」
「愚かだ」
といった感じでです。
ちょっと日本を見下したような感じで批判することが度々あったのです。
こういった発言の裏には
「(大多数の日本人とは違って)自分達は正しいことが分かっている。」
という想い。
信者でない人達に対する密かな「自負」や「優越感」もあったかもしれません。
しかし、私はその集団の集会に行っても蚊帳の外にいる感じで、馴染めない。
母親に受け入れられない一心で、ただその場にいる子どもに過ぎなかったのです。
そして日本や日本人を批判される度に、私は自分自身が否定されているように感じていました。
この宗教を受け入れられない自分。
そんな自分に対して、(この宗教や信者達から)「ダメだ!」と全否定されている気がして、すごく悲しかったのです。
多くの信者は宗教の集まりに行っては、安らぎや平安を得ているようでした。
しかし私は行けば行くほど、苦しくなってしまう。
次第にその宗教から距離を置くようになりました。
そして高校生の時にハッキリ諦めたのです。
「○○教の信者になること」
「母親に受け入れられること」
この二つはもう自分には無理だと。
小学生の頃から続くジレンマに、自分になりに決着をつけるしかなかったのです。
【3】「日本」に魅かれる
子どもにとって親の存在は大きい。
親に対して「自分が愛されることを」諦めること。
さらに、物心ついた頃から身近に接してきた〇〇教の世界観、価値観を手放すこと。
この二つを同時にやったので、当時の私は精神的にかなり不安定になりました。
この先、自分は何を心の拠り所に生きていけば良いのか。
何を目指して生きていけば良いのか。
全く分からなくなってしまったのです。
当時はネットも無い時代。
なんとか自分なりの答えを見つけたいと思って、図書館や本屋でいろんな本を読みあさるようになりました。
その中で心惹かれたのは日本でした。
母親や周りの信者達がどこか軽蔑の視線を投げていたこの国「日本」。
彼らの価値観からすると、日本は「文化的・宗教的に未開だから、教えて分からせようとする」対象かもしない。
でも日本の歴史や文化を違う視点から見てみると、すごく価値があるように思えてきたのです。
また明治維新で活躍した人や、太平洋戦争で戦った人の伝記や手記を読むようにもなりました。
そうすると、この国を守ったり、発展に力を尽くした人々の姿に共鳴するようになってきたのです。
だんだん日本のことが好きになって「自分もこの国の発展の力になれたらいいな」
そんなことを考えるようになりました。
【4】「好き」が自分を支える
現在は日本を訪れる外国人観光客も多く。
日本の文化や歴史に興味や称賛を送る外国人の存在は珍しくなくなりました。
日本人が日本に対して肯定感や自信を持ちやすい時代になったと思います。
しかし30年ほど前、平成が始まる頃はそうではありませんでした。
欧米諸国などの白人文化を良いものとして憧れ、逆に日本を卑下する風潮が強かったと思います。
海外旅行がブームとなって海外に旅に行っても
「海外(欧米)ってやっぱりステキ。それに比べて日本は・・・(たいしたことがない)」
といった話しをする人も多かったように思います。
ただ世間がどうであれ、「日本が好き」になったことや「自分なりに日本の力になりたい」と思えたことは、自分の心の隙間を埋めてくれました。
親の愛を諦め、慣れた宗教のコミュニティーを去った私は、独りぼっちになった気がしていました。
何も頼るものがない孤独な気持ちです。
そんな時、「自分はこれが好き」とか「自分はこんなことがしたい」という想いがあることは、崩れかけた自我を支えてくれたのです。
これは就職活動や社会人になってからも役立ちました。
就職先の候補としては公益企業を選びました。
「仕事を通じて、社会や日本の発展の役に立ちたい。」
青臭いながらも、そんなことを本気で考えるようになっていたのです。
就職の志望動機を書いたり、面接で話したりする時。
マニュアルではない、自分なりの想いと伝えることで、すごく採用されやすくなったと思います。
また社会人になってからも、自分なりの「仕事をする理由」が明確だったので、仕事に取組みやすかったのです。
【5】負の影響
しかし良いことばかりではありません。
ある時、新たに与えられた仕事が手につかなくなったことがありました。
新しく立ち上がった事業。
この分野で売上を上げ、シェアを高めることは自分がいる企業には利益をもたらす。
でも日本の社会全体を考えると、この分野ではむしろライバル企業がシェアを伸ばした方が良いのではと、思えるものだったのです。
「自分の好き」に変にこだわり過ぎて、自分が納得できないと仕事に身が入りにくくなっていたのです。
また、自分の想いを人に押し付けがちになっていました。
部下に対して、自分なりの「仕事の意義」をつい説いてしまうこともある。
そうすると、相手によっては納得することもあれば、相手によっては煙たがられることもありました。
「自分が好き」
「自分が意義を感じるいこと」
それが一人よがりになっていたのです。
その大きな原因は、子どもの頃の悲しみや欠乏感がベースになっていたことだと思いました。
「日本」のことを母や周りの信者達が否定する。
そして私はそんな母に対する反発心から、逆に日本を好きになろうとしていたのでした。
そのため、自分の考えにしがみつきやすく、変に力が入ってしまいがちだったのです。
【6】心の改善が力み(りきみ)を減らす
親子関係で生じた心の痛みを癒し、解放すること。
私にとっては避けて通れないものになっていました。
そして心の改善に向かい合った結果、過去に引きずられることがだいぶ減りました。
そうすると「好きなこと」に妙に力が入ることも減りました。
むしろより自然体で仕事に意義を感じてやれるなら、それはそれで良いと思えるようになってきたのです。
【7】更に「好き」を手放す
それでもある時、「日本に対する好きやこだわり」を更に手放して良いと思うようになりました。
以前と比べて格段と減ったものの、自分の中の力み(りきみ)を感じたのです。
そして更に減らした方が良いと思えたのです。
「自分は〇〇が好きな人」という一種の思い込み。
これにまつわる未消化の悲しみや怒りといった感情を解放することをやってみました。
こうした「思い込み」や「観念」は目に見えません。
心の中にあるものだからです。
イメージ的には、過去の体験で生じた「思考」や未解消の「感情」が固まっている感じです。
その固まりが強固であれば、なかなか溶けません。
そこに怒りや悲しみ、そして思考のエネルギーが強く絡み合っているからです。
心の中で向き合ってみると「自分は日本が好きな人」という思い込み・観念は形が崩れかけた残骸のようなものでした。
意識を向け、しっかり見つめていると、自然とその残骸が崩れて消えていく。
そんなイメージが湧きました。
感情的にスッキリし、更に一段深く「好き」を手放した感じがしました。
「(日本のことを)好きでも好きでなくても、どちらでも良い。」
そんな心持ちになれ、随分気持ちが楽になりました。
過去の影響を更に手放した感じにもなりました。
そして力み(りきみ)が減って、より自然体で居やすくなったのです。
まとめ
子どもの頃の悲しみがキッカケとなって出来た「好きなこと」
過去の悲しみを手放して、それでも好きなのであれば「純粋に好き」なのかもしれません。
昔のような執着はありませんが、今の私にとって「日本」はじんわりと好きな感じです。
そして「日本」はアダルトチルドレン(AC)の回復にとっても役立つ視点です。
ACは「自分の生まれ」を潜在的に強く否定しています。
・どんな親のもとに生まれたか。
・どんな兄弟・姉妹がいたのか、いなかったのか
・どんな体形・体質を持って生まれてきたか
・そもそも自分は生まれて良かったのか
など、様々な面で強い否定感を持っていることが多い。
そして自分が生まれた国を肯定すること、もしくは良い面に敢えて目を向けること。
それは心理的には「自分が生まれたこと」そのものを肯定することにつながりやすいのです。
AC回復の道は、心の奥底にある頑固な自己否定を緩めていく道のりでもあるのです。