随分昔のことですが…
高校1年生(16才)の夏、私は救急車で病院に運ばれました。
吹奏楽部に入っていた私。
その日、ある町で開かれていた高校の吹奏楽部のコンサートを聴きに行っていたのです。
部活の一環として、部の仲間数人で会場に行きました。
運動部でいうと他校の試合を見に行くようなものです。
そのコンサートの途中で急にお腹が痛くなったのです。
「(演奏中なので)席を外したくない…。」
でも痛みが強烈で、とても我慢できなかった。
なんとかロビーに出たものの、耐え切れずうめき声をあげて倒れてしまう。
そして救急車で運ばれることになったのです。
*関連記事「がんが見つかって」
①意識状態が変わる
https://ac-recovery-lab.com/?p=5309
【1】突然の手術と入院
立ち上がることも出来ない激しい腹痛。
何が起こったのか自分では全く分かりませんでした。
救急隊員や医師に痛みの経緯や原因を聞かれても、答えられない。
その後は断片的にしか記憶がありません。
私は最初に運ばれた病院から、また次の病院へと再び救急車で運ばれました。
恐らく原因を突き止めるまで、時間がかかったのだと思います。
私の激しい痛みの原因は胃に穴があいたことでした。
胃の中に入っていたものが周りの臓器の間に漏れ出しだしたのです。
そしてお腹の中で炎症が起こる「急性腹膜炎」という症状になっていたのです。
緊急手術が必要で、処置が遅れれば死亡してしまうところでした。
【2】緊急の外科手術
週末夜の緊急手術。
お腹にメスが入ります。
穴が開いた胃を修復するため、胃の三分の二が切り取りとられ、残った部分が縫い合わされました。
臓器の間にたまった胃の内容物は取り除かれ、きれいに洗浄されました。
そして手術のために切り開かれたお腹は再び縫い戻されたのです。
私がしっかり目を覚ましたのは、二日後でした。
意識は戻っても痛みが大きく、体をろくに動かすこともできない。
お腹には4本のチューブが挿入されており、腕には点滴の注射針も刺さっています。
突然の変化に戸惑い、自分の身に一体何が起こったのか分かりませんでした。
しかし容態が安定し、医師や親から話しをちゃんと聞けるようになって、次第に自分の病気や状況が分かるようになってきました。
【3】胃の病気
胃に穴が開いたのは「胃潰瘍(いかいよう)」という病気が進んだため起こったものでした。
胃は胃酸と胃の粘液の絶妙なバランスをとって、食べたものの消化、吸収を進めています。
しかしそのバランスが取れなくなると、胃酸が胃の粘膜を傷つけてしまうのです。
軽い場合は胸やけ程度ですが、症状が進行すると胃が内部から侵食されてしまいます。
そしてひどい場合は、胃に穴があいてしまうのです。
その頃、私は胸やけをすることがよくありました。
お腹にちょっと違和感を感じることもありました。
しかしたいしたこととは思わず、病院にも行っていませんでした。
そのうちに症状が進み、緊急手術を受けることになってしまったのです。
当時この病気の原因は過労や精神的なストレスだと言われていました。
(現在ではある菌の感染が胃の中にあると発症しやすいことが分かってきています。)
16才の高校生がなぜこの病気になり、胃に穴があくまでになってしまったのか。
部活中に倒れたため、顧問の先生から両親には
「部活の中で、何か深刻な悩みがあったのかもしれません。」
と言われたそうです。
また両親からは
「新しい学校や土地に慣れずに疲れてしまったんじゃないか。」
とも言われていました。
でも自分ではうすうす分かっていたのです。
この病気の原因。
大きなストレスを抱えた原因は「親を強く憎しみ、怨む気持ち」だったと。
【4】小学生の頃からとても嫌だったこと
私の父親は家族に対してとても威圧的でした。
自分の思い通りにならないとすぐに怒りをあらわにし、周りを怒鳴りつけるのです。
そんな毎日の中で、母親は夫の暴力的な言動に耐えきれなかったのでしょう。
悩んだ末にある宗教の信者となり、のめり込むようになります。
不機嫌と怒りで人をコントロールする父親。
「宗教の教え」というシェルターで心を深く閉ざした母親。
この二人の間で「心の拠り所」が無い、とても不安な幼少期を過ごしました。
小学生の頃から、私がとても嫌だったこと。
それは父親が仕事から帰宅した時のことでした。
家の中に雰囲気が一気に変わってしまうのです。
それまで自分が穏やかで、楽しく過ごしていても…
父親が帰宅すると不機嫌と怒りが持ち込まれて、一気に家の中が険悪な緊張状態になる。
時には両親のケンカも始まります。
そして、家の中の雰囲気が変わることで、自分も一気に緊張を強いられたり、悲しい気持ちになったり…。
自分の想いとは全く関係なく、親によって理不尽に自分の周りや自分自身の状態が変えられてしまう。
小さな子どもの自分。
「(両親に)もっと仲良くして欲しい、穏やかに過ごして欲しい。」
と働きかける力もない。
ただ状況に流されるしかない。
それがとても悲しく、嫌だったのです。
【5】理不尽に対する憎しみ、恨み
子どもの頃の私が不安だった要因。
その一つには父の転勤に伴って度々あった「引っ越し」もありました。
転勤の多い父の仕事。
毎年4月が異動の時期でした。
数年に一回の転勤と引っ越し。
今年有るのか無いのか、一ヶ月ぐらい前まで分かりません。
つまり一年後、自分がここに住んでいるのか、別のところにいるのか分からない状態だったのです。
家が「心の拠り所」にならない私。
それでも、友達や近所の人などと心のつながりがあれば、それも「拠り所」になったのかもしれません。
でも引っ越ししてしまうと、そんなつながりは一気に切れてしまいます。
実際誰かと仲良くなっても、引っ越しで人間関係が引き裂かれるような悲しい体験もありました。
そうすると、誰かと仲良くなることにも躊躇するようになります。
「今この人と仲良くなっても、悲しい別れがまた来るかもしれない…。」
そうして無意識のうちに、周りの人との間で心の距離を置くようになっていたのです。
「誰にも頼れない」
そんな孤独感も感じていました。
引越しは「親の仕事の都合」。
子どもである自分の想いや考えなど全く関係なく、周りの状態が一気に変えられてしまう。
そのことをすごく理不尽に思い、次第に親に対して強い怒りを持つようになっていたのです。
【6】積もった怒りを抑えきれなくなる
中学を卒業した直後の4月。
また引っ越しをしました。
父の異動先は同じ県内でしたが、距離は結構離れていました。
私の進学先の高校、そして父の新しい職場。
どちらにもなんとか通える、そんな中間の場所。
そこに住むことになりました。
でも当時の私はすごく不満でした。
「また親のせいで、自分を取り巻く環境・状況が一気に変えられてしまった…。」
と感じていたのです。
小学生の頃とは違い、高校生になると体も大きくなってきています。
一人でできることも、行動できる範囲も広がっています。
次第に父親にやり返したいと思うようになっていました。
ずっと一方的にやられっぱなしだった。
積み重なっきた悲しみや無力感がたくさんあった。
そして、自分の怒りをだんだん抑えきれなくなってきたのです。
毎日の通学の際も、ものすごい怒りが湧いていました。
「なんでこんな遠いところから通わなきゃいけないのか」
「こんな通学はうんざりだ」
そして
毎朝駅に向かう時も、電車に乗っている時も。
学校からの帰りに、皆と別れ一人で帰る時も。
いつもいつも、親に対してすごい怒りを感じ、憎しみすら覚えているようになっていたのです。
【7】手術の後
私が「胃潰瘍」になった原因は複数あったと思います。
その要因が重なって、症状が進行してしまった、
当時はあまり知られていなかった「ある菌の感染が胃の中にあった」こと。
新しい生活にまだ慣れ切っていない疲労もあった。
ただ一番大きかったのは「強い憎しみ、恨み」の感情だったと思います。
しかし緊急手術を受けた後の私は、それを親に伝えることが出来なかった。
「自分がこんな事態を引き起こしてしまった。」
「親に迷惑をかけた…。」
そんな負い目も感じていたので、言えなくなってしまったのです。
当時の自分の想いや気持ち、病気の原因について、ちゃんと親に伝えたのは随分後になってから。
今回のがんの手術・入院がキッカケでした。
*関連する記事「がんが見つかって」
【以前の記事】
①意識状態が変わる
https://ac-recovery-lab.com/?p=5309
【次の記事】
③両親との関係を振り返る、見直す
https://ac-recovery-lab.com/?p=5828
*参考
小児の心身症「消化性潰瘍」 (日本小児心身医学会)
http://www.jisinsin.jp/detail/06-takenaka.htm
消化性潰瘍ガイドQ&A(日本消化器病学会ガイドライン)
https://www.jsge.or.jp/guideline/disease/kaiyou.html