日々の生活、お金、自分の体。
より自由になることは、もちろん良いことでしょう。
しかし逆のことになってしまったら….
自分に落ち度がなかったとしても。
人生の歩みの中で、望まない状態になってしまうこと。
誰もがあり得ますね。
私は昨年病気になって、12月に大きな手術を受けました。
幸い経過は順調で、今のところ追加の治療も必要ない。
今後数年は術後の経過を見守る「経過観察」が要るぐらいです。
しかし、 日々の生活、お金、自分の体。
不自由で不便になったのです。
■突然、望まない展開に
私は手術で胃を失いました。
今は食道と小腸が直結されている状態です。
この手術を受けるかどうか随分悩みました。
体の不調とか自覚症状は全くないのに、大事な臓器を切り取ってしまうのかどうか。
でも決めたのです。
「胃を失ってでも生きていこう」と
しかし実際失ってみると…
結構大変。
当然のことですが
胃がないので、少しづつしか食べられない。
つい以前のような食べ方をすると、苦しくなって吐いてしまう。
それもで体は少しづつ慣れていくようです。
しかし今の時点だと、茶碗半分のご飯でも…
美味しくてついパクパク食べてしまうと、強烈に苦しくなる。
結局吐くことになってしまうのです。
今は食事を何回にも分けて、時間をかけて、よく噛みながら食べています。
■不自由・不便って、めんどう…
食事に時間がかかり、何度も取るようになると、生活は結構不便になります。
食べられるものは限られるので、特に外出の際、食事代も高くかかります。
何よりも体に意識を向ける時間や精度(?)を上げなければなりません。
誰でも暴飲暴食をすれば、体は不調になります。
ただ私はその「セーフゾーン」が極端に小さくなってしまった。
ちょっとでも外すと苦しむ。
(イメージはこんな感じ)
■不自由・不便でも、メリット?
この件で言えば、一番の不自由・不便は体です。
一般的に言えば、デメリットばかりでメリットは何もないかもしれません。
このちょっとでも間違うと痛い目に遭ってしまう。
食べることに、以前とは違う「精度」が必要になること。
イメージとしては
オリンピック種目の女子体操、平均台にも似ているかもしれません。
この台に沿ってキチンと足を運ぶためには、自分の足に意識をしっかり向けておく必要があるでしょう。
それと同じように、毎回の食事にキチンと意識を向けること。
「食べること」をちゃんと意識を向けることになります。
間違うとすぐに強いエラーが出る。
「食べること」が不便になったからこそ、「食べること」への意識が上がります。
そして、毎日の「食べること」は「生きること」に直結します。
結果的に「毎日を生きること」への意識が上がったように思うのです。
それはより「真剣に生きること」になるかもしれません。
不便になるのは嫌だけど…
実はメリットもあるように感じています。