生活・お金・体など不自由になることは嫌だけど… 実はメリットもあるかも

日々の生活、お金、自分の体。
より自由になることは、もちろん良いことでしょう。

しかし逆のことになってしまったら….

自分に落ち度がなかったとしても。
人生の歩みの中で、望まない状態になってしまうこと。

誰もがあり得ますね。


私は昨年病気になって、12月に大きな手術を受けました。

幸い経過は順調で、今のところ追加の治療も必要ない。
今後数年は術後の経過を見守る「経過観察」が要るぐらいです。

しかし、 日々の生活、お金、自分の体。
不自由で不便になったのです。

突然、望まない展開に

私は手術で胃を失いました。

今は食道と小腸が直結されている状態です。

この手術を受けるかどうか随分悩みました。

体の不調とか自覚症状は全くないのに、大事な臓器を切り取ってしまうのかどうか。

でも決めたのです。

「胃を失ってでも生きていこう」と

しかし実際失ってみると…
結構大変。

当然のことですが
胃がないので、少しづつしか食べられない。

つい以前のような食べ方をすると、苦しくなって吐いてしまう。

それもで体は少しづつ慣れていくようです。

しかし今の時点だと、茶碗半分のご飯でも…
美味しくてついパクパク食べてしまうと、強烈に苦しくなる。

結局吐くことになってしまうのです。

今は食事を何回にも分けて、時間をかけて、よく噛みながら食べています。

不自由・不便って、めんどう…

食事に時間がかかり、何度も取るようになると、生活は結構不便になります。

食べられるものは限られるので、特に外出の際、食事代も高くかかります。

何よりも体に意識を向ける時間や精度(?)を上げなければなりません。

誰でも暴飲暴食をすれば、体は不調になります。
ただ私はその「セーフゾーン」が極端に小さくなってしまった。

ちょっとでも外すと苦しむ。
(イメージはこんな感じ)

不自由・不便でも、メリット?

この件で言えば、一番の不自由・不便は体です。

一般的に言えば、デメリットばかりでメリットは何もないかもしれません。

このちょっとでも間違うと痛い目に遭ってしまう。
食べることに、以前とは違う「精度」が必要になること。

イメージとしては
オリンピック種目の女子体操、平均台にも似ているかもしれません。

この台に沿ってキチンと足を運ぶためには、自分の足に意識をしっかり向けておく必要があるでしょう。

それと同じように、毎回の食事にキチンと意識を向けること。
「食べること」をちゃんと意識を向けることになります。

間違うとすぐに強いエラーが出る。

「食べること」が不便になったからこそ、「食べること」への意識が上がります。

そして、毎日の「食べること」は「生きること」に直結します。

結果的に「毎日を生きること」への意識が上がったように思うのです。
それはより「真剣に生きること」になるかもしれません。

不便になるのは嫌だけど… 

実はメリットもあるように感じています。

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