親のことを考えると疲れてしまう。「心理的距離」が近いとそうなっちゃいますね。

「親のことが許せない」
「どうして親は〇〇してくれなかったんだ!」

憎しみと怒り。
突き放し、攻撃したい激情。

一方で
「自分のことを受け止めて欲しい..」
「分かって欲しい..」

愛情や共感・理解を求める。
近づき甘え、受け入れられたい想い。

全く正反対の想い・感情。
この間を揺れ動くと疲れてしまいます。

更には、
「どんな親であったとしても、感謝しなきゃ」
「親のことをグダグタ考えるなんて、大人として馬鹿げている。」

人間として「在るべき姿」「好ましい姿」(?)という思い込みにしばられる。

そして親に対する怒りや悲しみを抑え込んだり、無かったことにしようとする。

表面的にやり過ごすことは出来たとしても、自分の中にある自然な想いや感情は抑え込まれただけ。

実は苦しさやストレスをどこかで感じてしまう。

そしてその苦しさやストレスを発散するために、多くのお金と時間を使う。


長い間、私はこんな感じでした(笑)
無駄に疲弊していた。

今思うと、私は親との「心理的距離」が近すぎた。

ずっと満たされない想いがあった。
癒されない悲しみや痛みがあった。

だから経済的に独立しても、どこか気持ち的に親から離れられずにいたのです。

そして「心理的距離」が近すぎると相手(親)のこともよく見えない。

私は後になって
「親って、実はこんな人だったんだ。」
と思ったことが色々ありました(笑)

「過去の心の痛み」に囚われていると、状況が見えにくいし、解決しにくい。

「過去の心の痛み」が軽い人は、一時的に停滞することがあっても、「エイ!」と勢いに任せてやっているうちに、自分の状態が好転することもあるでしょう。

しかし「過去の心の痛み」が強い人ほど、この痛みをちゃんとケアしてから、いろんなことをやった方が断然早いと思う。


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