私の母親はある宗教の信者です。
私が3歳の頃に入信しました。
多分結構熱心な信者だったのでしょう。
教団の中で人に教えたりする役割も時々担っていました。
宗教や宗派によるかもしれませんが、
多くの場合信者に奨励されるのは布教活動。
新たに信者が増えることは良いこととされます。
私の母親にとって、一番の布教先は家族。
夫(私の父親)に対しては半ば諦めていましたが、
自分の子どもには熱心にその宗教の教えを伝えていました。
でも結果的に…
私も弟も妹も。子ども達は誰も信者にはなりませんでした。
(私は三人兄弟です。)
どころか
母親の宗教のことは「嫌なもの」だと思っていました。
強制、強要されてきた。その反動ですね。
ただ逆に
母親自身が楽しそうにやっていたこと。
子どもに無理させなかったことは、かえって子どもに残っている。
母親は「音楽」が好き。
母親が楽しそうにやっている。
その背中を見て、子どもが真似してみようとする。
母親が楽しそうにオルガンを弾いていると、「僕もやる♪」とオルガンを弾こうとする。
そんなことはよくあったように思います。
私は中学から大学まで吹奏楽部に入り、今でも音楽(合唱)に関わっています。
私は音楽に関われたことで、人生を豊かにした感じがしています。
(挫折体験もたくさんありますが…)
もし私の母親が、宗教についても自分自身が「楽しそう」にやっていて、子どもに強制させなかったら…
違った結果になっていたかもしれません。
それでも私自身は信者にはならなかったかったと思いますが、
その宗教に対する嫌悪感は抱かなかったでしょう。
私はいつしか、宗教全般が「ろくでもないもの」だと思うようになっていったのです。
宗教がもたらした影の部分を見ていたから。
でも宗教がもたらす光の部分もある。
「救い」や「心のよりどころ」があるから、なんとか生きていける。
母親にとって宗教はそういうものだったのではないか。
そんな風にちょっと考えられるようになったのは、
私自身が精神的に追い詰められて、逃げ場がない体験をした後のことでした。