音に関わるトラウマが耳をふさぐ

久しぶりにオーケストラのコンサートに行ってきました。
(写真はイメージ図です)

私は小さな子どもの頃、楽器を演奏できる人にすごく憧れていました。
ピアノやギターなどを奏でる人がすごく輝いてみえたのです。

そこで小学生からピアノを習い、中学から大学までは吹奏楽をやっていました。

私にとって音楽は
・「こんな風に演奏できたらいいな♪」という憧れ。
・(自分たちなりに)いい演奏ができた時の喜び。

そして、まったく思うようにいかなかった、数々の挫折体験でもあります(笑)

「もっと上手く演奏したい」
「いい音楽をつくりたい」

そう思って練習を重ねても、今一つ上手くなれない。
演奏技術の優れた仲間や後輩達に追いつけない。

野球やサッカーなどと同様に、音楽にも素質の有無がある。
学生時代の終わりの頃には「自分は音楽の素質があまり無かったのだ」と思うようになっていました。

しかし後になって、別の大きな要因があることが分かってきました。

それは自分が「心理的に耳をふさいだ状態」にいたことなのです。

子どもの頃に繰り返し聞いた嫌な音・声

私が子どもの頃、父親は不機嫌なことが多く、家では些細なことですぐ母親を怒鳴っていました。

そして、母親はあまり言い返すこともなく、ただ耐えていることが多かった。

家の中が不穏な空気になるキッカケはいつも父親。

私は父親の怒鳴り声や不機嫌な声が嫌でした。
その声が家に響くと、落ち着けない、安心できない。

当時の私の願いは「(父親に)そんなに怒鳴らないで欲しい」というものでした。

でも幼い私に父親をなだめることは出来ません。
小さな子どもは家庭の状態が嫌だからといって、家を出ることもできません。

いつしか私は、嫌な音をスルーする・フタをするクセがついてしまっていたようです。

「心理的に耳をふさいだ状態」の影響

当時は分かりませんでしたが、この「心理的に耳をふさいだ状態」でいることによる、思わぬ影響がありました。

(1)授業中に先生の話しを聞き続けるのが苦手

もともと子どもは興味・関心のないものに集中しないものです。

私は学校の勉強そのものはそんなに嫌いではなかった。

でも授業中に先生の話を聞き続けることがすごく苦手でした。

(2)繊細な音の違いが分からず、表現できない

ピアノやキーボードと違い、オーケストラや吹奏楽で使う楽器(ヴァイオリンやトランペットなど)は一人で一つの音しか出せません。

一人一人が出す一つの音を絶妙に足し合わせることによって、重厚な音楽を作り上げていくのです。

そこで自分が楽器で出している音、周りの楽器が出している音をしっかり聴き取ること。
そして瞬時にズレを修正していくことが必要になります。

しかし微細な音のズレが充分に把握できていないと、しっかり修正することができないのです。

つまり違いを認識できれば、違いを表現できる。
しかし違いが認識できなければ、その微細な違いを表現することができないのです。

(3)(仕事で)長い会議や打合せが苦手

社会人になって困ったのは長い会議や打ち合わせが苦手なことでした。

膨大な量の文書や資料類を読み続けるのは大丈夫。
でも長い話しになると集中力が続かない。
つい意識が散漫になってしまう。

これには困りました。

「心理的に耳をふさいだ状態」の改善

自分が苦手だと思っていたこと。

その原因が実は子どもの頃の体験にあったことに気付いたのは、幼少期のトラウマ解消が進んだ後でした。

耳をふさいだ状態に変化が現れ、微細な音や音の変化が感じられるようになってきたのです。

街を歩いている時に、以前は耳に入ることもなかった、風の音や鳥の鳴き声が聞こえるようになったのです。

そして苦手だった長い会議や打ち合わせが、苦にならなくなりました。

今思うと、楽しそうな声は大丈夫でも、男性のちょっとかしこまった声が延々続くのも苦手だったようです。

その声が何かをキッカケに、怒った声や怒鳴り声に変わってしまうのではないかと恐れている。
(子どもの頃に嫌だった音・声です)

確かに会議や打ち合わせの中でそういうことが起こることもありますが(笑)、過剰に怖がる必要はまったくないですね。

心理的に深い領域にある未解消の恐れがあったため、無意識のうちに影響を受けていたのです。

そしてその恐れが解けたので、影響されることがなくなってきたのです。


悪い変化には意識が向きやすいが、良い変化は当たり前になりやすい

「心理的に耳をふさいだ状態」 が改善されたメリットは色々ありました。

・仕事のストレスが減る
・集中力があがり、仕事の効率が上がる
・コミュニケーションがスムーズになり、相手の意向や意思が掴みやすくなる  
など

でも、聴覚の変化は目に目に見えないもの。
変化した当初はその違いが分かっても、次第にその状態に慣れて当たり前になってきます。

カゼやケガなどもそうですが、悪い変化があった時は「ツイてない。困った。」などとなりやすい。
でも治ってしまうと悪かった時のことはすっかり忘れてしまい、良い状態が当たり前になってしまう。

「悪い変化には意識が向きやすいが、良い変化は当たり前になりやすい」のです。

これは自然なことですが、良い変化をしっかり認識することは、その変化をしっかり定着させたり、自分の歩んできた歩みを肯定することになります。

そうすると、結果的に自己肯定感をあげることにもつながるのです。

私にとってオーケストラを聴くこと

私にとってオーケストラを聴くことは、聴覚の変化を受け取ることでもあります。

というのもオーケストラは楽器や音の種類が多く(主なものだと10数種類はあります。)、このどこまで聴こえているか、違いが分かりやすいのです。

私は学生時代、オーケストラの模範演奏として同じ曲を数百回聴いていました。

そして当時のCDを今聴くと、耳に入ってくる音・楽器の種類が増えているのです。

学生時代よりも今の方が聴覚がすぐれている。
それは同じ音楽でもより豊かに受け取れることになるのです。

これは私にとって大きな喜びです。

まとめ

アダルトチルドレンは「トラウマが多い人」とも言えるでしょう。

そしてトラウマとなった体験には感情や思考、そして視覚・聴覚など様々な感覚が付随しています。

そのため「音」が、無意識のうちに幼いころの恐怖体験や不安な気持ちを引き起こしたりすることもあるのです。

こういった幼少期に「聴きたくない音」を繰り返し、執拗に聞かされたケースは色々あります。

・小言を言われつづける
・怒鳴られる
・延々と説教される
・ヒステリーな声を聞かされる
・親のグチの話し相手をさせられる 
など

この影響が音楽などの楽しみ、趣味の分野であれば「心理的に耳をふさいだ状態」であってもさほど困らないでしょう。

しかし実際は本人があまり気付かないうちに、仕事や人間関係に影響を及ぼしていることも意外とあります。

・(仕事の)指示の取り違い、勘違いが多い
・(あるストレス状態になると)人の話しが全く頭に入ってこない
・周りの音に敏感すぎる、もしくは鈍感すぎる
など

アダルトチルドレン回復の道は、その人が持っている能力・素質を発揮しやすくすることにもつながるのです。

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