「臓器を失う手術」にのぞむ(がんが見つかって⑥)

臓器(胃)を失う手術を受けることを決めた私。

しかし様々な戸惑い、不安は出てきます。

自分だけでは抱えきれない悩み。

こういう時は
やはり相談したり、人の力を借りていこうと思いました。


*関連記事「がんが見つかって」
①意識状態が変わる
②「親を憎しみ、恨む」ことで胃に穴をあけてしまった過去
③両親との関係を振り返る、見直す
④両親への心残り・和解
⑤大事な臓器を失うかどうか、選択を迫られる

【1】 「本気で生きる」と決め切れるか

ある人に相談した時、
『「本気で生きる」と決め切ること。これが何より大事。』
と言われました。

「本気で生きようとすること」

その人からすると、私はここが弱いと見えたのです。

痛い指摘だけど…
確かにそういうところがある。

生きることに
「今一つ、腰が据わっていない感じ」
と言えるかもしれません。

ここが弱いと、目の前の現実的な問題にも向き合いにくい。
目をそらしたり、別のことで誤魔化したり…。

結局、困難を乗り越えにくくなってしまう。

この課題。

私が潜在的に持っている
「生きることへの不安」
にもつながっている。

なかなか深いテーマなので、簡単には改善しない感じがしました。

ただ今回の手術は「生きること」に向き合う、絶好のタイミング。

「本気で生きること」

この度合いを少しでも高めていこうと思えてきたのです。

【2】「胃がない状態で生きていくこと」を決め切れるか

またある人からは
『「胃がない状態で生きていくこと」を決め切れるか。それがすごく大事じゃないか。』
と言われました。

確かにそうかも…

手術を受けることは決めた。

でも手術や術後のことについて覚悟はまだ固まってはいない….。

私はもともと「胃がない状態で生きている人」に弱々しいイメージしか持ってなかった。

だから「胃がなくても元気で生きている人」 のことをもっと知ろうと考えました。

がん相談センターに問い合わせしてみたり、知り合いの医師に話しを聞いてみたり。

その中で結構インパクトがあったのは、知り合いの上司の話し。

数年前にがんで胃を全摘出したもの、現在も凄く元気な人。

その人は仕事中、 たまに自虐ギャク(?)を飛ばすらしい。

「ストレスで胃が痛い~。」

「あ、俺。胃が無いんだった(笑)」

これぐらい笑い飛ばせるのはとてもいい。

私よりもだいぶ年配の人ですが、元々精力的で、仕事も有能らしい。
胃を取っても、生きるノリは変わらなかったようです。

こういう人は少数なのかもしれません。

でも実際にそういう人がいる事実を知るだけでも随分変わります。

そうしているうちに、私が元々持っていた弱々しいイメージ、思い込み。

「胃を取ると弱々しくなる」は結構緩みました。

私自身、十代の時に胃の三分の二を切って、その後既に何十年も生きてきました。

当時、手術・退院の直後は大変でした。
しかしその後は人より小さな胃であっても、影響や不便を感じることは全くなかった。

切った胃そのものが元に戻ることはありません。
ただ体はある程度の順応性があります。

胃が小さくなったとしても、残っている胃が多少強くなったり。

また周りの臓器も体の変化に対応してくれていたのかもしれません。
成長期だったので、順応しやすかったかもしれません。

胃を切って何十年もなんの不自由もなく生きてきた私。

その歩みに改めて目を向けると、
『ならば、「胃がない状態で生きていくこと」を自分の人生として受け入れよう。』

そんな想いが徐々に固まってきたのです。

【3】「思い通りにならなかった現実」をどう受け止めたらいいのか

がん細胞は驚異的な増殖力で、体の中で勢力を拡大していきます。

そして体全体が死に至ることによって、結局がん細胞自体も死んでしまいます。

まさに「自滅的」「自己破壊的」な働き。

これが自分の体の中で起こった。

調べれば調べるほど、
がんは自分の中にあった「自己否定」が体の中で「現実化したもの」ように思えてきたのです。

「以前に比べれば、自己否定はだいぶ弱まったのに…」
「どうして自分は、こんな事態を引き起こしてしまったのか…」
「病気になることなんて望んでいなかったのに..」

なんて想いが繰り返し現れるようになります。

『「思い通りにならなかった現実」をどう受け止めれば良いのか。』

だんだん悩むようになってきました。

ただ思い悩むうちに、
開き直る気持ちも出てきました。

「10代の時に引き続き、2回目の胃の手術を受ける。」
「病気も含め、これも自分の人生と思って受け止めようか…」

まだ現実を受け止めきれない想いもある。
でも次第にそんな気にもなってきたのです。

【4】 長年連れ添った「胃」とのお別れ会

入院の二日前。

私は一人で
『長年連れ添った「胃」とのお別れ会』
をやりました(笑)

生まれてからずっと、自分と伴にあった大切な臓器。

自分なりに感謝して、お別れする。
本当に食べたいものを食べて、胃袋で感じておこうと思ったのです。

私は普段あまり肉は食べません。
でもすごく気になっていたハンバーグがあったのです。

デミグラスソース、肉の旨味がしっかり浸み込んだもの。
このハンバーグを絶賛している記事を読んだことがあって、それ以来気になっていたのです。

それを食べました。

記事の通り、
やはりすごく美味しかった♪

美味しいお酒も飲んで、その夜は本当に「食」をしみじみと味わいました。

胃を失うこと。

やはり寂しさや怖さはあるけど
「これは自分が決めたこと」
と腹を決めたのです。

【5】 そして手術室に向かう

手術の朝。

弟が手術の付き添いのため病院に来てくれました。

病院の浴衣に着替え、車いすに乗って手術室に向かいます。
手術の予定所要時間は6時間。

前日はあまり眠れませんでした。

「生きること」にどこまで向き合えたか。
「本気で生きること」をどこまで決め切れたのか。

…微妙です。

やはり向き合えず、決め切れないところもある。

でも
「胃がない状態で生きていくこと」
は決め切れた。

手術を受けるか、受けないかの選択。

「受けないこと」を選ぶことも出来たけど、私は「受けること」を選んだ。

どんな結果になったとしても、それは受け止める覚悟は出来ました。

付き添いの弟と別れ、手術室に入った時は割と冷静でいれました。


手術直前。

手術を担当する麻酔の医師、看護師さん達が次々と自己紹介、挨拶をしてくれます。

ありがたいことです。

「自分の体のこと。この人達にしっかり託そう。」

そして
「生まれ変わるつもりで手術に向かおう」

そう思って、手術台の上に横になりました。

この時、心穏やかに向かうことが出来たのです。


しかし数時間後。

麻酔から覚ますと、
私はこれまで経験したことがない、強烈な激痛に襲われました。

痛みに耐えかね、うめき声を上げてしまいます。

そしてこの強烈な痛みを、周りの看護師さんが今一つ受け止めてくれない。

このことに、私は激怒することになったのです。



*関連記事「がんが見つかって」
①意識状態が変わる
②「親を憎しみ、恨む」ことで胃に穴をあけてしまった過去
③両親との関係を振り返る、見直す
④両親への心残り・和解
⑤大事な臓器を失うかどうか、選択を迫られる
⑦自分の「痛み」が受け入れられなかった「悔しさ」「怒り」

*参考
・胃癌手術後の入院治療計画書(クリニカルパス)
http://www.jgca.jp/guideline/fourth/category2-g.html#H1_G
胃癌治療ガイドライン医師用 日本胃癌学会編(第4版 2014年5月改訂)

・胃全摘出術・胃部分切除術 入院診療計画書
https://www.hosp.hyo-med.ac.jp/activity/clinical_pathway/organ/pdf/12003-08.pdf
関西医科大学

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