私が子どもの頃。どうしても馴染めなかった「親の世界観」がありました。
それは
「人間とは生まれた時から『汚れた存在』である。」
というもの。
そして、その「汚れ」があるので、
「ある行動(信仰)をしなければならない」というものでした。
これは母親が信じていた宗教の教えによるものです。
今思うと、これは
「誰かに罪悪感を感じさせて、その人をコントロールする」
方法だったと思います。
ただ
「罪悪感によるコントロール」
は特に珍しいものではありません。
親子、友達、夫婦間など、特に近い関係であれば、
相手を動かすために、相手に罪悪感を感じさせて、ある態度・行動させようとすること。
程度はともかく、よくあります。
宗教によっては、
「罪悪感」と、それから救われるための「行動(信仰)」がセットで、信者に提示されていることもよくあると思います。
私が子どもの頃、どうしても馴染めず嫌だったのは「強烈な罪悪感」を感じさせられること。
自分は何も悪いことをしていないのに
「生まれただけで汚れた存在」
だとされること。
そう考えると、悲しいし、つらいし、面白くない。
納得がいかない。
母親はその「罪悪感」から救ってくれる「行動(信仰)」を有り難いものとして、喜々として受けれていました。
しかし私にはとてもそう思えない。
小さな子どもは、親から受け入れられ、愛されることが何よりも必要。
そのためには、「親の世界観」である宗教を受け入れないといけない。
これが、私の子どもの頃の大きな葛藤でした。